あめふらし

雨男ってよく言われます。音楽、映画、雑感とか

社会文化文献読書会

3日前に4月から定期的に行なっている社会文化アプローチの諸文献を読み込むといった趣旨の読書会を行いました(終わってすぐ書きたかったのですが、集中講義の影響で書けず。集中講義は集中講義でおもしろかったから良いのだけど)。今回の本は桑野隆著の「バフチン―“対話”そして“解放の笑い”」。

バフチン―“対話”そして“解放の笑い” 新版

バフチン―“対話”そして“解放の笑い” 新版

今回は第5章で私がレジュメ担当でした(あとでここにもレジュメファイルを載せたいと思います)。さて内容なのですが、戦後のバフチン研究の軌跡を追いつつ、バフチンの「対話的能動性」における議論を紹介するといったものでした。以下は桑野隆さんの本を読んだ僕の私的な感想です。疑問に思われたりもっと知りたいと思われた方はぜひ桑野隆さんの本またはバフチンの原典をあたってみてください。

 

バフチンは異質な他者と対話が人間を個別の存在にならしめると説きます。こういった他者との関わりから自己が生まれる系の話は、例えばクーリーやミードのシンボリック相互作用論などによっても支持されていますし、また日常的な文脈においても非常に納得出来るものでした(人の優れているところを見て、自らの劣等性を認知することは僕自身よくあります。またバフチンはこういった現象を「視覚の余剰」という概念を用いて説明しています)。

しかしです。なぜ我々は他者と対話することによって個別な存在になれるということを知っているのでしょうか。誰に教えてもらうでもなく、我々はこの自明な事実を知っています(”そもそもなぜ対話が必要だと知っているのか”という問題)。現実問題、確かに我々は他者からフィードバックを受け、自己のさまざまな側面を認知していると言えるでしょう。これは我々の経験からもわかる自明の事実です。ただ、このような”自己によって他者は必要不可欠理論”の多くが「他者とコミュニケーションを取ること」を人間の生得的な機能や社会的規範としてアプリオリに設定しているのではないでしょうか? このことをことさら批判するつもりは私にはありません。進化心理学的知見から考えても人間はコミュニケーション能力が長けていたから生物的に生き残ったと考えることができる(つまり人間は種として社会的な存在であるということ)と思いますし、ワロンやヴィゴツキーの理論においてもコミュニケーション能力はアプリオリに設定されているように思います。また本論においては参与的思考者(マルクス主義者)における人間の社会的実践への参加(つまり歴史への参加)といった概念が紹介されていました。これもまあコミュニケーションをとることが社会的規範になっている理論と考えてよいでしょう。

 

バフチンの”自己によって他者は必要不可欠理論”における「じゃあそもそもなぜ対話が必要だと知っているのか」問題への解答は独特なものでした(少なくとも私はそう思いました)。バフチンも人間が社会的存在であることは認めているようです。しかし、ここから先をバフチンは細かく見ていきます。まず人間各個人は世界において唯一の存在である(つまり誰も同じ人間はいない)と説きます。つまり人間は誰とも同じでない独特で唯一の特徴を有しているということです。しかし人間は自らの独特さに1人では気がつくことができない(自分の顔は自分でみることができない。「人間は未完の存在である」)。だからこそ人間個人は自らの独特さに気付くため、また他者の独特さに気づかせるためにコミュニケーションをとる責任が生じる。つまりバフチンは「じゃあそもそもなぜ対話が必要だと知っているのか問題」について”社会的存在である人間は自己の責任として他者と対話しなくてはならないからだ”と解答しているのです(この「他者と対話しなくてはならない」といった概念をバフチンは「対話的能動性」と呼んでいます。)。

 

対話的能動性に対して批判もあるようです。「他者との相互行為を通して自己を見つけるのはわかるが、楽天的・理想的過ぎる」といった批判です。確かにコミュニケーションを通して自分が見つけられるというのはどこぞの自己啓発でもやっていそうな内容ですし、それだけでアイデンティティを確立出来るというのは理想的過ぎる気もします。

しかし、バフチンはこの対話の失敗についても指摘しているようです。対話が失敗した時、由々しき事態になることがあり、相手を傷つける可能性もある。これは日常的によくあることだと思います。「君はこんな人間だね。そうだねわかるよ」などと安易に断定し、その人の持っている本来の独特さを消してしまうといった経験(私は中学時代の先生に対してこの安易な断定を感じたことがあります)は往々にしてよくあることだと思います。

 

こんな感じの内容が第5章の内容でした。その後のディスカッションで様々な議論がなされました(研究者としてのスタンスに関わる議論など)。この内容はバフチンと関係しているようでちょっとずれるので、また機会を改めて書きたいと思います。

 

それではまた。

 

【メモ】

※自分でメモしといて何の為のメモだか忘れたものです。誰かわかったら教えて下さい。笑

参与的思考者

赤ちゃん

要するに対話的相互行為

ここで問題になるのが主体性の問題であります。