あめふらし

雨男ってよく言われます。音楽、映画、雑感とか

順番

「世の中、タイミングなんだよな。順番といってもいいけど」
忍が溜息混じりに呟いて、融の顔を見た。
「順番が違ってれば何とかなったのにってこと、ないか?」
「あるような気がする」

恩田陸夜のピクニック」188-190頁より)

 

23時くらいから順番について考えていて、そしたら以上の一節を思い出したんです。ああ、そうだったな、と思い返した。「夜のピクニック」は、そんな、不器用な小説だった。

 

 

順番を作るのが下手くそな人は損だと思うんですよ。世の中って予想以上に順番に支配されている。順番が合わないと全然ダメ。逆に順番さえ合っちゃえば、結構な無理が通ったりもする。

 

 

今、研究でブルーナーっていう研究者の「意味の復権」という本を細かく読んでいるんですが、これがまた、順番の話。ブルーナーは順番を文化と言い換える。世界には順番(文化)があって、それが僕達の欲望を作る(順番を守りたくなる)。逆に、順番があるから欲望を抑えたりもできる(順番があるから横入りしたくてもしない)。突然順番を破るやつが出てきても、話し合いでまた順番を変えたり、あるいは守らない奴に、守れよ!と怒ったりもできる。

 

今、仲間内でビジネスをやろうって話になっていたりするのですが、この世界にもやっぱり順番がある。というか、ビジネスの世界が最も順番にシビアだ。順番を守らないと誰もついてこない。お客さんも、同僚も。逆に順番を守れば、それ相応の対価がある。

 

僕達は予想以上に順番に縛られている。如何ともしがたく。どうしようもなく。多分要領がいいやつってのは、この順番を作るのが上手いんだな。僕はというと全然ダメ。すぐに結果を求めてしまう。順番を守るのも下手だし、作るのも下手。

 

 

でも−−。

 

そんなもんなんじゃないだろうか、人間って。

 

 だが、正しいのは彼らだった。脇目もふらず、誰よりも速く走って大人になるつもりだった自分が、一番のガキだったことを思い知らされたのだ。
 そして、彼らは融よりもずっと寛大だった。一人で強がっていたのに、彼らは融のことを愛してくれていた。いつも離れずそばについていてくれたのだ。
 融は自分が情けなく、恥かしくてたまらなくなった。
 「——もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな」
 融は思わず呟いていた。
 「え?何?」
 貴子が振り向く。
 「損した。青春しとけばよかった」
 「何、それ」
 「愚痴」
 貴子は、本気で後悔している表情の融の表情を見て、沈んでいた心のどこかが動くのを感じた。
 忍の声が、唐突に脳裏に蘇る。
 なんて言うんでしょう、青春の揺らぎというか、煌めきというか、若さの影、とでも言いましょうか。
 忍の冗談めかした声と、つまらなそうな顔の融とが重なりあった。
 ひょっとして。
 貴子は融の顔をじっと見つめた。やけに無防備な、子供のような不満顔を。
 今ごろになって感じてるわけ?そういうものを?今更、この男が?
 貴子は、あきれて笑い出したくなった。
 この男は、落ち着いていて偉そうに見えるが、実は、とんでもなく不器用で生真面目なのだ。
 「ちゃんと青春してた高校生なんて、どのくらいいるのかなあ」

恩田陸夜のピクニック428-429頁より)。

 

順番は守るべきだし、できることなら破ることなく生きていたい。でもどうしようもなく気づかないことが、やっぱりある。大概は後になって気づく。あーあ、また守れてないわ。どうすんのさ、こんなんなっちゃって。大概こんなもん。最速で走るのが最高!って思っていたら、実は途中にいろんな要所があって、その辺全部無視しちゃってた。こんなもんなんだよ。多分。

 

「ちゃんと青春してた高校生なんて、どのくらいいるのかなあ」。

そう、ちゃんと順番を守れる奴なんてほんの一握りで、やっぱりみんな順番なんか守れやしないんじゃないだろうか。でも守れなかったことに後悔しながら、僕達は次のステップを生きる。

 

前回、身体について書いた。順番を守りたいのに守れない。こんなところにも身体は顔を出す。

 

そんな順番を守れない身体を、やっぱり好きにはなれないけど、少しだけ肯定できるような気がした深夜1時。